20230604

今日、豊井さんの個展に行ってきて感銘を受けたのでその備忘録。
https://twitter.com/GalleryTowed/status/1664482939034570752
すでに出版されている作品集についてはまだ読めていないので、もしかしたら同じようなことを言っているかもしれない。まあでも、自分が感じたことをアウトプットしているだけなのでご容赦。
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大きい印刷でドット絵を見る体験はかなりよかった。画面で見るよりもドット1つ1つの流れをきちんと追うことができるので、作者の作為や筆運びを正確に把握できる。
そして、ドット絵は全てがドットの集合体で描かれているという性質上、その動きを追うのも容易。

豊井さんのドット絵は基本的に一定の法則に基づいて描かれていることが多いので安心する。その一方で、法則から外れているところにもきちんと作為が行き届いている(気がする)ので、「どうしてこの部分はこのように描いているのだろう」と考えることが楽しい。

例えば、『白良浜』という絵は手前にある階段の直線が「(右1マス・下1マス)×10→(右2マス・下1マス)」という動きで規則性を持って描かれている一方、遠くにいる人物はピンクや黄色のドット1マスで描かれていてドット絵のマジックを感じる。
また、同じ絵の遠景には白を基調とした建築物の連なりが整然と描かれているが、その遠景の中に本来はその位置に存在するはずがないであろう白や水色が急に出てくる箇所があって、そこに強烈な意図と作家性を感じた。これは小さいモニタで見ていたらなかなか気付かなかった場所だろうから、展示に行ってよかったなと思う。

他にも、『鼻白の滝』では岩に生い茂る緑を3*3サイズの+の形で表現している箇所があって、その規則性に安心感を覚える一方で、だからこそその形でない形で表現されている緑について「なぜそのように描いたのだろう」と思いを巡らせることができる。

『冬の訪れ』では渡り鳥の群れが描かれているが、遠くにいる(であろう)鳥は目もくちばしもない、かろうじて鳥の形を保っている白いかたまりとして描かれている。この「遠さ」というのが、単純に視界からの距離的な遠さなのか、それとも描き手から見た時の意識としての遠さなのかがすごく気になった。

豊井さんのドット絵は枯山水のようだなと思った。あるいは、ドット絵というものがそもそもそういう性質を孕んでいるのかもしれない。風景を写実的に規則性を持って描く一方で、「遠さ」を持った対象に対しては最小限の機能を残しつつ徹底的に描写を省き、時には写実と反する形や色を混ぜ込んで実際の風景よりも「実際に見た」風景に近付けていく。その取捨選択が作家性でありアートなのだろうなと思った。

めちゃくちゃ自分の分野に引き付けて思ったこととしては、もしかしたらラップの気持ちよさもそういうところにあるのかもしれない(そもそもラップを自分の分野と言っていいのか、というところには自信がないけど)。
基本的に2^n単位の小節のかたまりの中で同じフロウを用いつつ、そのフロウがリリックの内容に拠って少しずつ変化することによって、規則性と破調が両立するのだろうなと思った。そして、その規則性と破調のバランスこそが聴き心地のよさであり、ひいてはラップの上手さみたいなところまで還元されるのかもしれない。
そういう意味では、曲の最初から最後まで同じフロウで押し通すこともおそらく可能であって、それはリリックによってリードのメロディやリズムに微妙な変化が生じる、より偶発的で有機的なミニマルミュージックなのかもしれない、などと。